クオリティーとは?
映像作品のクオリティーを定義するには、色々と判断する基準が皆にもあると思います。
・映像が綺麗
・話が面白い
・映像表現が新しい
・笑った
・泣いた
上記の抽象的表現にハマったものが皆さんが持っている基準だと思います。
この上記の内容にたいして、「何が?」という疑問符をもって映像を見れているかでクオリティーの概念に気づくことができます。
では、「映像が綺麗」については何をもって綺麗としているのか説明できますか?
一例を上げます。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』を「映像が綺麗」と捉えた場合とします。
映画内の映像では、試合の場面や過去の話が入れ替わりながら、最終的に試合が終わり、
その後の話になるような構成になっています。
本編内で沖縄を舞台にしたシーンの中に砂浜がありました。
波打ち際のカットでは、波の表現が実写と勘違いするようなクオリティーを出しています。
手書きで作業すると凄く大変なカットのように思いますが、CGで制作されているだろうと
推測できます。あまり話の内容に関係の無いカットですが、このような何気もないカットでもリアリティーを求めることにより、作品の世界観に没入させることができると思います。
あと、
試合中についてですが、バスケットボールの競技をリアルに再現できるようなCGアニメーションとなっています。
バスケットボールのコートの大きさが把握できるよな形で見ている人にも、アニメなのにリアルな臨場感を与えています。
この表現に落とし込むためには、実際にプレーする各選手の立ち位置を上面からとらえることと、プレーの意図を再考しなおし、本映画用に組み上げなおす必要もあり尚且つコミックとの整合性をとりながら試合を構成されているのには、本作品の監督が原作者本人の井上氏だからこそ出来る作品であり、全体的に綺麗にまとまっています。
プレー中の表現の中に汗があります。
垂れる汗はCGで表現するには大変な作業です。
垂れるタイミングなどで、カットの意味なども表現することも可能ですし、
意図を持った汗表現は、本作品の見どころの一つかと思います。
スラムダンクの漫画以上の興奮をアニメーションによって提供して頂いたのではないかと思います。
よって丁寧にまとめられた作品は、構成も綺麗で、ジャパニメーション上のCG表現を可能な限り引き上げた作品としては、歴史的に見て転換点になるのではないでしょうか。
「綺麗な映像」をどのように捉えているかのアウトプットの一例です。
ビジュアルの綺麗さと映像構成について「綺麗」という表現でまとめています。
よって、綺麗という切り口で作品を見た場合の自分の感覚的捉え方や立ち位置によって、
受け取る情報量とアウトプットする内容が出てきます。
そもそも、映画『THE FIRST SLAM DUNK』という映画を見た人それぞれが等しい情報量です。よってそこからどれだけの情報量を受け取り処理できて、アウトプットできるかです。
作るもの(創るもの)を理解する。
では、「作るも」「創るもの」のとは一体なんでしょうか。
作ることにより何かしらの意味を持たせることです。
言い方を変えれば、
作ったもので解決することです。
便利なプロダクトもそうです。
包丁、ハサミ、カッター、Tシャツ、住宅、あらゆる有形無形のものは、作られたものであり、意味をもつものです。
映像はどうでしょうか。
映像は、他者の時間を奪うものです。
メディアやコンテンツに思想や意味を持ちます。
その思想や意味について共感できることや為になることで価値を提供しています。
各メディアやコンテンツの立ち位置を確認してみました。
少し癖のあるような書き方にあえてしています。
以下の通りではないでしょうか。
・テレビ
テレビであれば、電波から無料で映像がとめどなく映像が流れてきます。(NHKは有料)
各時間帯に年齢層や男女など区別した上でコンテンツを制作しています。
報道については、即効性のある内容をニュースとして放映されます。
各種報道は、親会社である新聞社の意向により報道の調整を行われていたりします。
適切な情報を取る為に偏った内容だと感じたら別のメディアで情報を確認しましょう。
・映画
2000円近くの金額を払い2時間近いコンテンツを他人と一緒に見る媒体です。
2000円という価値に視聴者は払う価値があるかないかで判断し、観たい映画を観る傾向にあります。
日本人の映画館で映画を観る年間の回数は、年間平均1回と言われています。
この年1回に足を運んでもらう価値のある作品を作れるかにかかっているコンテンツビジネスです。
年間の映画本数は、1000本と言われています。
1億2,000万人の人口で割るとなんと、1本あたり、12万人となります。これを入場料の2,000円をかければ、2億4,000万円となり、映画館の利益を取ると、1億2000万円です。
ここから配給会社は、7割抜きます。残るのが3,600万円となります。これが制作費ですね。
出演者や製作者などのスタッフのお金がここから出ます。
平均だと、赤字覚悟の制作環境です。
・ゲーム
ネットワークの技術が進み離れたところでも対戦ゲームや協力のできるゲームが出現しました。コンシューマーゲームとPCゲームの垣根も越えつつある状況です。
ゲーム中にはリアルタイムレンダリングで構成された映像作品が普通になりました。
あまり映像的なカット表現や座り画の美しいカットが減ってきた気がします。
プリレンダリングの映像が入っていた頃は、伝える情報量を明確にした映像作品が
ゲーム内でもありましたが、リアルタイムレンダリングが主になったことで、
ゲーム環境での表現になり、ヨリ絵などのダイナミックなカットが減った気がします。
あくまでも状況を見せるものとしての立ち位置が主になったのではないでしょうか。
・Youtubeなどの無料プラットフォーム
YouTubeなどは、何かないかなと思いながら動画を探して、観たいもの選びます。
制作者と視聴者の距離が一番近いコンテンツとなります。
コメントのやり取りで親近感を持たすことのできるプラットホームです。
SNS的要素のあるメディアでありますが、その分クオリティーより、
内容や親近感が重要なメディアだと言えます。
YouTubeバブルは崩壊しましたが、承認欲求を満たす為に運用している人たちが
古参として頑張っている人たちと、ビジネスに繋げるためにコミュニティーツールとして使っている企業に絞られてきたのが現状です。
・ネットフリック、アマゾンプライムなどのサブスクプラットホーム
ネットフリックスやアマゾンプライムなどのサブスクプラットホームでは、
2時間近くがっつり映画を観たいと思って、視聴者は心の準備や環境を整えてみます。
過去の映画やオリジナルドラマなど、内容の充実したコンテンツが沢山選び放題です。
しかし、沢山ありすぎて2時間をどの作品で使うかで迷う状況になります。
よって、レビュー評価の高い作品や品質が保証されているシリーズもの、過去の名作に
集中して観られる傾向にあります。
新作は、如何に前評判を高めた上でアップされるのかを考えないといけないようになりました。
・各種SNS
その他SNSで出てくる映像では、たまたま出会う目の引く映像で指を止めて観てしまいます。Twitter、Facebook、Instagram、TikTok などでは、タイムラインで指に止めてもらうためには、約0.3秒が勝負と言われています。
そのためには、出オチに近い形のコンテンツが必要となります。
見てもらってなんぼの世界になります。
・デジタルサイネージ
デジタルサイネージでは、突如として日常の空間に存在する映像であり広告です。
目的は、目に止めて情報やイメージを伝えるものであり、
ポスターの代わりになったものです。
上記のメディアで関わる映像の立ち位置を羅列してみました。
どうでしょうか。
同じ映像制作であっても映像の意味や解釈が見る人の環境で変わってくることが
わかると思います。
この前提を元に自分が作る(創る)ものがどの媒体なのかも含めて考慮する必要があることを理解してもらえれば、実際に制作する上での効果的な演出や表現を考えることも可能です。
では、作る(創る)とは?
作ると創る。
ふたつの「つくる」についてお話します。
まずは、「創る」です。
想像を膨らませて創る方です。
行き過ぎると妄想になり実現不能な思考になります。
想像力を活かすことになりますが、この想像力というのは、経験と仮説そして願望で出来ていると思います。
ここで思い出してほしいのは、「中二病」です。
中学生の時に、熱中していることと現実が合わさり理想となる世界について妄想することをさします。この時には、現実的に起こらないが妄想した世界が理想郷のようになり、気持ちが浸ることにより、落ち着いたり興奮したりすることだと思います。
しかし、この「中二病」はやがて、叶わない妄想だということに気づき現実に目を向けることで、緩和され、人によっては完治します。
しかし、
クリエイティブを目指す人たちは中二病を完治している人は少ないでしょう。
その妄想を現実に起こす為にはCGやアニメーションがあると思っている人が多いとおもいます。
現実、筆者もそうでした。
筆者は、中二病のままでは仕事にならないと気づきます。
想像することを世に合わせること。そして役に立つ創造を考えること。
それを進めるために作ることを分けて考えるようになりました。
世の中については、責任を伴った内容で考えることで、世間に合わせることをします。
世間といえば、下げた考え方と聞こえるひともいるかもしれませんが、
社会にでれば、世間の方が偉いのです。
一人で考えたことなど大したことがなく、色々な人と力を合わせて作ることで出来るものが大半です。
世の中に対してリスペクトをしましょう。
認めて貰うための「クオリティー」を提供できる。
すると、責任の範囲が広がり、その上での自由の範囲が広がることになります。
この広がりが大きくなれば、世間から認知された人物として見てもらうことになります。
すこし話は脱線しましたが、
「作る」と「創る」の違いを端的にいえば、
「作る」は作業。
「創る」は考える。
もう一つのつくるについては、
「造る」は組み上げる。
「つくる」の意味を見つめなおす意味でも一度自分なりに思っていた「つくる」を整理してもよいのではないでしょうか。
仮説、考察、検証、経験が大事
仮説、考察、検証、経験がクオリティを上げるためには、無数に必要です。
無数と言われてもと思うかもしれません。
日頃から考えていること、学んでいることをインプットとし、
それを、他者に伝えるアウトプットをしていれば、いいわけです。
口答でもいですし、文字やSNSでも。絵で表現できるならクリエーターらしくていいですよね。
このクリエイティブな仕事では、常に考えを求められる仕事があって作業にあたるものです。この前段の常に考えを求められていることの質を上げれば作業の時間は効率よくなり、
クオリティアップに寄与します。
仮説とは、
「だろう」や「じゃないか?」です。
気づいたものについてある一定の答えを持っている状態です。
例えば、
ジュースの缶はアルミで出来ているよね。
大半の350mlの缶にアルミって書いてるしね。
この書いている物を疑ってみるのも一つの手です。
考察とは、
「こうすれば」や「だとすれば」です。
仮説にある情報を元に検証に移るための手段を考えます。
例えば、
アルミ缶のアルミは、磁石くっつかないはず。
だったら、磁石を用意して検証してみようまでです。
検証とは、
「やってみた」や「その結果」です。
検証した上での出た結果を知るところです。
例えば、
アルミ缶に磁石をくっつけた結果、くっつかなかった。
よって、アルミ缶と書かれた字は正しかった。
なので、仮説は合っていた。
となります。
ここでは、検証した結果と仮説が合致したことを大事にしているのではなく。
検証した結果が出たことが大切です。
経験とは、
一通りの「仮説」「考察」「検証」で得たことが、
「経験」として脳内にストックされます。
この経験のストックを脳内に整理してストックするために振り返りが重要です。
振り返りをするときには、他者に伝える前提でまとめることがよいでしょう。
すると、脳内ですっきりした状態で引き出しやすい情報となります。
この引き出しやすい情報をもつことで、作業にあたる前段階での考えることについて時間をかけずに積み上げることができます。
想像力、創造力を活かすことを考える。
インプットとアウトプットの量を増やせば想像力を高めることができます。
想像力の源は経験によるところもあります。
しかし、活かすとなればどうでしょうか。
自己を危機にさらします。
危機感で想像力を発揮することができます。
ハーバードの実験でも実証されています。
制作の場合の危機とは何でしょうか。
提出や納期ギリギリまで手を付けないことではありません。
限界ギリギリまで考え、行動することです。
もっと時間があれば、良いもの作れたのでは無く、
限られた時間を元に考えれることを考え、
スケジュールを逆算し、かけれる作業を見積り、
状況を元に行動。
あとはやりきることではないでしょうか。
この経験を繰り返せば繰り返すほど鍛えられます。
この鍛えられた経験ができることにより、制作についてのとっかかりも身に付き、
億劫になることなく制作に移ることができるでしょう。
結果は、後からついてきます。
想像力、創造力があれば、モテることもできる。
世の中に向けて作ったものであれば世が評価してくれます。
自分向けに作ったものは評価されにくいでしょう。
市場は世の中であって自分ではありません。
世の中にプレゼントを贈るようなイメージで制作できていますか?
他人にプレゼントを贈ったことはありますか?
その人にふさわしい贈り物を考えたり、
包装を考えたりなど。
制作物も世の中のことを考えて作ることで、世にとって意味のあるものになります。
今現在ある世の中の作品は世の為に出されたものばかりです。
このことを元に制作ができれば、世間でもモテるクリエーターになれることでしょう。
まとめ
つらつらと長い文章になりましたが、一言でいえば、「世間について考えろ」です。
自分と世間とのズレや差を認識し、考えることが大事です。
すべて世間に合わせろではなく、ズレの中にある隙間は、
自己の思いや経験が生かす場所かもしれません。
あくまでも作品は、世の中が評価するものであって自己が評価するものではありません。
制作プロセスの満足感には自己評価を与えることは良いと思いますが、
作品自体に自己評価を与える必要が無いと筆者は考えています。