幼少期から社会に出るまで

 1980年4月に生まれる。

地元の小学校に入学。
ファミコンばかりする少年でした。
その影響でグラフィックに関わる仕事をしたいと思う。
小5の時に親に伝えたら殴られる。

中学校の時は美術の成績は5だったが、
他の科目は2ばかり。
勉強は嫌いすぎた。
でも今となれば勉強はしておくべきだった。
中2の3学期の美術のテストで93点を取る。お題は自分の手のデッサン。
幼馴染に1点負けて「お前に絵の仕事なんか無理じゃ」と言われ、心に火が付く。
部活はハンドボール。
そのおかげで高校に入学できることになる。
そのハンドボール部のキャプテンが幼馴染だった。

高校に入り、ハンドボールとバンドに明け暮れる
おかげで赤点だらけの成績。
でもハンドボール部の成績は近畿大会2回連続出場をする。
バンドでは、ドラムを担当。おかげでリズム感を身に着け、今では映像編集に役立つ。
フライヤーを作成したり、チケットを作る。この時にPCでWindwsペイントソフトだけで制作していた。
高校はでも内申点を稼ぐことができ、大学の推薦を獲得しグラフィックの勉強をする。
一応、受験の為にアトリエに通いデッサンの勉強はしていた。
そこで描いていたモチーフはトイレットペーパー。
先生の評価は、お尻を拭いたら血だらけになりそうと言われデッサン嫌いになる。

大学では15人クラスで5台のMacしかなくこのままだと制作時間が限られることを危惧。
短期バイトをして30万円ためて初めてのPowerMacG4を購入。OSは8.6。
この時にillustratorとPhotoshopと出会いグラフィックソフトの基礎を学ぶ。
ドラムはまだ続けており大学でバンドを組む。
ここでも学校で学んだグラフィックを活かしてフライヤー制作をする。
他のバンドからもフライヤーの依頼やTシャツ制作をし、印刷業者に顔を出すようになる。
業者に気に入られ色々と知識やフォントをもらう。
2000年に入りVJというのが世間的に登場し感化される。
このVJのおかげでAfterEffectsに出会う。
このころは、ビデオエフェクト的に使うぐらいしか触れなかった。
VJをクラブで開始。よなよな映像素材を制作。ハンディーカム片手にいろんな景色を撮っていた。
でもVJだけでは食べていけないことが分かりこのままだと、まずいと思い、
映像に関わることが学べる専門学校を探して入学。

ここで3dsMAXに出会う。
VJをやっていたころからMTVでPVを見続ける生活になる。
VJは社会人5年目まで続けていた。
短い尺のアニメーションに感化され、モーショングラフィックスを志す。
在学中にアニメーション作品を作成し、1年で就活する。
この時、体重が85㎏になり最大の体重になる。
卒業時には、痔になり相当時間、椅子に座っていた。

その結果、一次志望の会社に合格。
当時本社が仙台だったので、仙台で社会人スタートを切ることとなった。

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